うるせぇ!お前もいつかこうなる!

このタイトルを叫んだのはジッチャマ…と母は言った。

これはジッチャマ…がバッチャマ…を車椅子に乗せて押していた時に団地のクソガキに「あの人車椅子だ〜」と無邪気に言ったことが発端である。

そこでジッチャマ…がタイトル通りの言葉を叫んだのだ。

 

お前もいつかこうなる

 

それはバッチャマ…の病気が10万人に1人の脳動静脈奇形という病気である事が起因していると思う。54歳の時に脳出血を起こした。そしてそこから失語症、半身麻痺で介護が役20年間続いた。バッチャマ…の最終的な死因はこの国では珍しく肺がんで亡くなった。

ジッチャマ…は予想していなかったと思う。当たり前だ。急にぶっ倒れたと思って意識が戻ったら5歳の記憶しかなかったところも。カッチャマ…もそうだ。あの時早くもっと救急車に連絡していたら、ずっと後悔している。

 

私は珍しくバッチャマ…と同じ病気で脳出血する前に摘出手術をし、根治している。しかし、死ぬまでMRIに入らなければならない。

ジッチャマ…は後悔したく無いから、LINEで「おばあちゃんが守ってくれる」と言って手術を応援してくれた。バッチャマ…が守ってくれたおかげで私は今こうして生きている。死にたすぎてやばかった時(高校、大学生時代)もあったが、これだけ命が尊く欲するものだと気づかせてくれた。

 

毎月墓参りに行っている。

 

お前もいつかこうなる。

誰も予想できない事だから、ジッチャマ…はそれを経験してしまったからそう言ったんだろうな。

私はそのクソガキに謝れたら…なんて思わない。だっていつかこうなるかもしれないかもしれないからな。忠告しといたぞクソガキ。感謝せぇや。

初めての旅行ー京都篇ー

5月3日、優しい友人がホテルや行きの新幹線のチケットを取ってくれ、京都旅行が始まった。

新幹線は快適でした。なぜならグリーン車、凄かった。

足には靴下になって足をかける場所もあり、電源や謎のライトもあった。

4時間後、ついに京都へ到着した。

 

私は新幹線経験はこれで3回目になる。2回は学部生時代の古美研で新幹線利用のみだ。そして今回、行きの新幹線で3回目。

 

今回の京都旅行の目的は「京都シーシャ旅行」である。あと私が行きたかった蓮華王院三十三間堂京都国立博物館である。

 

京都に着いたらまずはチェックインをするらしい。京都駅からホテルは四条大宮駅というところにあった。私は事前に「泊まるホテルはここだから、206のバスに乗れば着く!バス停は駅から5分くらいだよ!」と頑張った。1本目のバスに乗る時、ちゃんと四条大宮駅まで行くか不安だったので大声で「四条大宮に行きますか⁉️」と叫んだら行かないとアンサー。これをあと2回繰り返す。そしたら私のビッグボイスを聞いていた地元の方らしき方が「四条大宮駅はね駅前のバス停あるじゃない?あそこのa1かa3のどれか」と教えてくれた…優しい…大きい声出してて良かった…

そうして四条大宮駅まで無事到着。チェックイン時間は15時だったが30分くらい過ぎていたような記憶。旅はこんなもんだろ(暴論)

 

そうして一軒目のシーシャ屋さんへ。内装は今までに行ったシーシャ屋さんでは無いようなサーカスと和を混ぜたような感じ。味も美味しく、チャージ代、シーシャ、一番安いソフドリで2,300円いいお店でした。

そして二軒目はベルベットさんというところで個室でシーシャが吸える不思議な空間。一軒目から歩いて13分ほど。シーシャの火力も選べて素人から玄人まで楽しめるが換気があまり良くなかったのでクラった。次は行かない予定。

 

2日目

 

チェックアウトは11時ゆっくり眠れてとても良かった。隣で寝ていた友人はむにゃむにゃ系の寝言を言っていたが、私は自分の歯軋りで少し覚醒してしまった。旅はこんなもんよ。

朝ご飯は近くにあったハットリーさんという喫茶店で過ごした。ご飯も美味しかったし、何より灰皿とミルクセーキがあるのは正義だろ…

食後にタクシーで三十三間堂へ、とても素晴らしかった…推しの顔を探した。まだ見つけられなかったが好みの顔の仏像はあった。

友人は音楽の神様に天童児というバンドをお願いします!と。いいなそれ。

ここでめちゃくちゃ嬉しかったのは右手に三十三間堂、左に京都国立博物館という文化欲張りセット立地と言うところだ。

京都国立博物館は異国だった東京国立博物館より広く感じた。何故なら大きい建物が周辺に無いからだ。山々綺麗。

京都国立博物館では天台宗最澄展が、ちょっと待って!これ東博でもやってたよ!草

しかしここで事件が…最後の見どころで、エ!?空也上人!?今は東博にいるはずでは!?よく見ると、静岡の寺にあるものが来ていた。今東博にあるのは六波羅蜜寺から来ている。見比べもできとても有意義だった。六波羅蜜寺空也上人の方が神々しく感じた。

 

そしてスロースさんというシーシャ屋さんへ。東京の池袋にあるシーシャ屋さんオーナーさんはここをとてもおすすめしていたのでとても行きたかったところだ。

しかし美味い。シーシャは通常2時間ほど吸えるが3時間ぐらい余裕で保つ。しかもオーナーさんはめちゃくちゃ理論的にシーシャを作っている方だった。

 

スロースさんから出て京都駅へ。真っ直ぐ行けば京都駅。京都タワーもあるのでわかりやすい。ここは本当に囲碁の目になっているんだなぁと実感。

京都駅では迷いながらも八条口辻利抹茶ソフトクリームを食べた。京都らしい食べ物はこれぐらいしか食べていない。しかしソフトクリームは抹茶独特の苦味とソフトクリームの甘さ何とも言えない柔らかいものでとても美味しい。食べれ良かった。

夕飯を食べ最後友人と別れる時に手をバチンと陽キャタッチしようとしたが中々上手く決まらず、決まった時は手がビリビリした。いい思い出だ。

友人は夜行バスで私は新幹線で帰宅した。4回目の新幹線だ。

 

お土産はお店の人が優しかった。

妹が舞子夢コロンの金木犀を買ってきて欲しいと言っていたので駅構内のお土産屋さんを爆走していた。どこのお店も無かったが店員さんはあそこなら昔あったから行けばもしかしたら!とどこのお土産屋さんでも言ってくれた。京都最後に人の優しさに触れた。

舞子夢コロンは結局無かったが代わりの金木犀の香水を買って帰った。自分用に京都限定ちいかわちゃんぬいぐるみを買った。

一番のネックは妹が舞子夢コロンの金木犀じゃない金木犀の香りでも喜んでくれるかどうかだった。

結果としては喜んでくれたそれがとても救いだった。舞子夢コロンを買えなかった自分を結構責めていたので。

 

みんな優しい。

また友人と旅行に行きたい。

なんかめっちゃ目眩するし頭ヤバいかもしれん→断薬したせいだった

4月初旬から群発期。すぐにかかりつけの脳神経内科へ(かかりつけの脳神経内科とは)

すぐに目線を追う、瞳孔のチェックなど簡単な検査をした。

お医者さんからは「2年前に診断された通り群発頭痛です。」と。

オォノ!(智)ワシは泣いた。死ぬほど辛いのだ。自殺頭痛とも言われているらしい。人によっては陣痛より辛いとかなんとか。

そこでイミグラン点鼻薬を処方された。群発頭痛界隈ではメジャーな薬だ。そこでワシは大天才なので先生にお薬手帳を渡して飲み合わせをチェックしてもらったんじゃ。

 

そしたら

 

イミグランとレクサプロの飲み合わせが悪いそうで。

ワシはもちろん自分の頭痛が治るんだったらレクサプロを止めると即答した。

そこからが地獄の始まりだったんや。

 

目眩がずっとして音に敏感になり光にも弱くなる。(光に弱くなるのは群発頭痛あるある)辛すぎる。

もう脳みそがおかしくなったのかと思った。6月にMRIに入る予定なので脳腫瘍が見つかったらどうしようと泣いていた。

妹や母には何もないから大丈夫と言われた。じゃあ変わってくれよ!って叫んじゃ…ッタァ!流石に分別がついている私なのでどうしてこんな身体に産んだんだ、とは言わなかった…

 

しかし大天才ワシ。

ちょ、待てよ(キムタク)そういえばこの目眩と音敏感レクサプロを飲まなくなってから来てるくない?

そこでググった。

そしたら分かった。

 

レクサプロの離脱症状

 

だった。

 

オォノ!(智)

 

現在は先生との相談でレクサプロの服用を再開した。

そしたらすっかり目眩音敏感が無くなった。

薬に左右される人生。

 

結構面倒くさい。

 

墓場の天国

私は2021年の2月に墓場で天国に行きました。

桜の花がゆらゆら揺れて花びらがずっと舞っていました。そよ風がずっと私の肌を触れ続けてとても気持ち良い感じで。

 

祖母の墓参りに大学院不合格の報告と月命日を兼ねて行きました。その時に。

少しスピリチュアルな私になってしまいますが、祖母が天国を見せてくれたのだと思っています。

その光景がずっと忘れらず春になりました。

私は墓参りに行くとまた天国が見れるのではないかとずっと期待しています。

多分次に見る天国は私が死ぬ時でしょうか。

でもその前にまた見たいのです。

もしかしたら祖母が寂しがって天国をちらつかせながら八王子霊園で待っているのかもしれません。

 

おばあちゃんまた見せてください。生きている間に天国を。

東京都福生市横田基地にて死の国境越え

福生を知っているか。福生には米軍基地の横田基地がある。

周りは外人ハウスばかりで異国情緒あふれる街で、私が初めて一人で福生に行った時ギャラリーだと思ったらタトゥースタジオだった小話ありな街です。

 

福生は私にとって全てがある街でいつか住みたい場所です。

漫画家上條淳士が描いた「sex」にも描かれている街で、そこには私を魅了するものしかなかったのです。私の熱意を受け取ってくれた祖父が一回だけ車で16号線をずっと行き福生に連れて行ってくれました。

この強烈な体験から福生に魂を置いてきてしまい、さらには命まで置いていこうとしました。

 

死の国境越えについて語ります。

 

横田基地は日本の中にあるカリフォルニア州になります。

入口には検問があるので強行突破して銃で撃たれて死のうとしました。今じゃ滅茶苦茶いい思い出です。

 

なぜ死のうとしたのか

 

大学受験に疲れただけです。今ではそう言えますが当時はマジで辛かったです。

高校もギリギリで卒業、当時卒業できないんじゃないかと職員室で言われていたそうです(うるさいんじゃい!)まあ無事卒業し大学を2校落ち眼中にも無かった大学をいい感じに卒業しました。これも今じゃいい思い出です。

 

国境の先の死に強く固執して結局入って銃殺される勇気もなく、JASDFとライトアップされた検問手前の入口で記念写真を撮って帰り、家族に滅茶苦茶怒られました。

福生への憧れの生と国境の先の死があり常にメメントモリな場所です。

皆さんにもあるといいです。嫌な事があったらすぐに死ねるけど死ねない場所が。

 

次に福生に行くときはイタリアンの二コラというお店でご飯を食べてタコスとシーシャを吸いながら米軍のおさがりを買いに行くと思います。生です。

最近の私は結構大丈夫な感じです。

庵野秀明に狂わされたり、されなかったりの人生

庵野秀明との出会いは、小学生の時YouTubeで違法視聴した新世紀エヴァンゲリオンです。何が面白かったのかは全て忘れてしまいましたが、ノートにエヴァ初号機の横顔をソラで描けるぐらいにはハマっていました。

そして違法視聴した旧劇。気づいたら2007年になっていたので序が始まっていて、地元の商店街で宇多田ヒカルのbeautiful Worldが流れていました。

ずっと耳に残っていました。当時エヴァ序の曲なんて理解していませんでした。

 

地元の中学校の吹奏楽部が残酷な天使のテーゼを演奏すると書かれているパンフレットが小学校で配られました。細田が「残酷な天使のテーゼだって」みたいな感じで話しかけてくれたのを今でも覚えています。

(細田→同級生)

 

そして同時期に始まった某医療ミステリドラマにどハマり。ドラマから原作へあれも小6です。筋肉ムキムキの医者がビーカーに入った水をごくごく飲んでて観てるこっちが気持ち悪くなりました。

そこからおかしくなったのです。

 

エヴァと上記に載せた医療小説がファーストインパクトを起こし、ボーイズラブが産まれました。

これがbeautiful Worldです。

 

自分なりに小説の中の人間を想像してイラストを描いては興奮する腐女子になっていました。ただ貞本のキャラクターデザインに影響を受けまくり、綾波は俺の母親になってくれる女なんだと草加雅人になっていました。

(庵野秀明仮面ライダー555が好き)

 

結局大学を卒業して大学院落ちしても推しCPはLASでLRSなのです。

結局惣流・アスカ・ラングレーが珈琲をぶちまけてシンジに首を絞められようが推しCP妄想しては暴れています。ピルを飲んでからマシにはなりましたが。

 

どんなに気持ち悪いと言われて首を絞めても攻めなのです。攻めだから首を絞めます。

 

庵野秀明との出会いは終わったかのように思われたが、庵野秀明展が六本木国立シン美術館で行われた。そこで私はまた観たのです。

天使のたまご絵コンテを描いている庵野秀明に。

 

天使のたまごという押井守監督と天野喜孝の絵が動いているアニメに参加していたのです。

これも推しCPに当てはめていました。

また狂わされたのです。

 

庵野秀明に。

 

ありがとう全ての庵野秀明

 

 

美術品と人間の命、どちらが重いか

ハロン1301という消化剤は人体には無害と書かれているが、実際火事になったら即逃げるように言われているし書かれてもいる。

美術品、国宝、重要文化財その他は無事だが果たして人間は。と思いながら仕事をしています。

 

「人の命は地球より重い」この言葉嫌いじゃないです。中学生の時、社会科の先生が教えてくれました。

この言葉を思い出しながら日々美術品を触っています。命より重いのか〜と思いながら。物理的にも重い。

人間国宝は死ぬ。でも美術品は修復可能。

人間は消えるから美術品の方が重いのかと個人的に思っています。でも人間国宝達が生み出した物は消えない。

 

でも美術品壊れるよね。嘘だ人間も壊れんじゃん。んほ〜

 

歴史が重くさせるのでしょうか。

みなさんはどう思いますか。